気まぐれ日記 08年2月
08年1月はここ
2月1日(金)「学業に注力のスタートを切った日・・・の風さん」
学業に専念しなければならない状態になっているのに、ちっとも時間がとれない。とうとう今日一日集中してやることになってしまった。
朝から本山キャンパスへミッシェルで出かけた。
今日はミッシェルにとって記念すべき朝だった。と言うのは、オドメーター(積算距離計)がある数字になるからだった。デジカメで撮影した写真を見て欲しい。123456kmである。それだけではない。下のトリップメーターにも注目して欲しい。789.0kmである。上から順番に1234567890と並ぶ瞬間は、今朝しかなかった。偶然? ノー! これは必然である。オドメーターが123456kmになるのは、機械的にそうなるのだが、トリップメーターがそれに連動したかのように789.0kmになるのは、人為的操作による。1月15日の日記を読み返して欲しい。私は、このXデーを迎えるべく、オドメーターがある数字になったとき、トリップメーターをゼロリセットしたのである。しかも、念には念を入れて、トリップメーターが789.0kmになったとき、123456kmが狂わないように±0.5kmの許容誤差まで与えたのである。
ところが、今朝、走りながらトリップメーターが789.0kmになる瞬間にミッシェルを停止させようとしたのだが、あいにく道路事情が悪く、少し先へ進んでしまったので、最後の「0」がやや回転しかけてしまった。私の美学はやや崩れたものの、安全はすべてに優先するので、これで「よし」とする。
デジカメでしっかり撮影した後、再びアクセルを踏み込んだ。
午前中は大野先生とマンツーマンのゼミ。英語の論文を読んで訳すのである。けっこう疲れる。昨日まで全く準備できなかったので、前回準備してあってできなかった分で、何とかゼミが終わった。次回のためにもっと読んでおかねば。
ハンバーガーで軽く昼食を摂った後、三重県にある勤務先の製作所へお連れして、生産ラインの見学をしてもらった。気温は低いが、空は晴れ渡っていて、絶好のドライブ日和だった。
いちおう正式な手続きを踏んで、トップの了解を得ての見学である。説明や案内は同僚に協力してもらった。すべて順調にスケジュールをこなすことができた。
再びミッシェルで本山キャンパスへ戻り、先生と夕食を共にした。
今回の私の研究テーマに関する勤務先の事例はすべてご覧いただけたので、いよいよ論文読みに注力しつつ、オリジナルな仮説構築に入らなければならない。春の学会発表と論文投稿を目指して頑張ることで合意した。
2月2日(土)「ゲラの校正に入魂・・・の風さん」
昨日は、今後は学業に注力することを決めたが、岩波科学ライブラリー向けの初校ゲラが届いたので、これを片付けねばならなかった。4日(月)着で戻すという超短納期である。
昨夜は画像データの高精細化に取り組んだ。本の中で使用する和算小説の表紙や、各種画像データのファイルサイズがやや小さいという指摘を受けたためである。
今日は、本文の校正に着手した。
ゲラに赤ペンで書き込むのは苦手である。学生時代の書痙が治っていないので、きわめてストレスがあり、且つ能率が落ちる。それで、データの状態での修正期間をギリギリまで確保していたのである。
今回の原稿は、小説と違って、写真などの画像を本文中に挿入してあるので、文章だけで説明する必要がない。また、文学的に高めることより、分かりやすさが重要なので、文章表現に徹底的にこだわる必要がないので楽である。
文章の大きな手直しはあまりなく、挿入してある写真とのつながりを調整したり、別の写真を提案したりといった作業に時間をかけた。
そもそも原稿の分量が少ないのも助かった。
それで、午前2時までに、本文の校正は終了した。あとは、明日の午前中に、CDへのデータ書き込みを梱包をして、宅配の手配をすればよいだけだ。
ところが、就寝前に、ワイフから、おあつらえむきに明朝宅配業者がワイフ宛ての代引き品を持って来ると聞いた。それなら、そのとき一緒に渡してしまおうと、入浴後、残りの仕事もしてしまおうと決めた。
2月3日(日)「恵方巻、嫌い・・・の風さん」
岩波科学ライブラリー向けの初校の著者校正と画像データのCDへの書き込み、宅配のための梱包が終了したのが今朝未明4時だった。今日は午前中にワイフ宛ての代引き宅配があるので、その人に渡せばオッケーということで、ワイフに頼んであり、安心して就寝していた。
目覚めたら午前11時半だった。
心配で階下へ降りてみたら、私の梱包物がそのままだった! ワイフに尋ねると、宅配業者があまりにも早く来てしまったため、代引きの受け取りすらできず、したがって私の物もそのままだと言う。折り返し、電話で再配送のお願いはしたものの、私の物のこと(明日中に東京へ届けたい物がある)までは伝えなかったとのこと。ガーン!
すぐさま宅配業者へ電話したが通じなかった。
……(途中の経緯は省略)。
結局、昼直前に宅配業者がやってきて、無事、私の物を預けることができた。
久しぶりの開放感(仕事が一段落するたびに味わえるこの気分は最高だ)。
たまっている雑務を片付け始めた。
今日は節分である。毎年、当家では猫に鬼のお面をつけて豆まきをする(本当か……本当だ)。
今夜の料理は手巻き寿司だという。これは世間が恵方巻(えほうまき)で騒いでいる潮流に乗れないワイフの苦肉の策である。どういう意味かと言うと、私が恵方巻に猛反対しているからだ。
そもそも日本の伝統行事でもない恵方巻である。しかも食べ方が気に入らない。縁起の良い方向を見て丸かじりする? なんと品のない食べ方だろう。神事に関することなら、皇室もやっていることになる。あり得ない。仏事に関することなら……、聞いたことがない。これは一種のバレンタインデーのチョコと一緒で、たくましい商魂から生み出された新しい習慣なのである。
以前説明した筈なのに、またワイフが私の主張に首を傾げるので、広辞苑と広辞林と日本年中行事辞典を持ってきて見せた。
「日本に昔からあるものなら、辞書に載っているはずだ。どうだい、あるかい?」
もちろん「ない」。
なお、恵方参りは、正月の行事である。
……ということで、今夜の手巻き寿司は、ワイフの抵抗から生じたメニューだったが、実に美味かった。
あとで、伝統にのっとり、年齢プラス1個の豆を食べた(ワイフの指示に従って)。55個の豆はけっこう食べごたえがあった(笑)。
風習や迷信については、作家鳴海風は寛大である。歓迎しているくらいだ。理屈や理論で説明できないことが多い時代ほど、人間生活は精神的に豊かだった。問題は、群集心理で踊らされている人々の行動だ。一種のパニック現象。オイルショックの時のトイレットペーパー買占めと似ている。危険を感じる。というわけで、恵方巻だって受け入れてもいい……けど、やはりあの食べ方はやだね、生理的に。
就寝時間になってしまったが、結局、作家としての雑務はほとんど片付かず、会社の仕事ばかりしていた午後だった(汗)。
2月4日(月)「和算小説家とタイの関係・・・の風さん」
校正済み初校ゲラが、午前中に出版社へ届いたという連絡があった。先ずは、ひと安心。
最近、松山在住の作家、大野優凛子さんに書店に飾るポップスタンドの鳴海風オリジナルを紹介したら、とても感動してくれて、それを参考にしたご自身の宣伝チラシを作られた。もちろんPRしたいのは、彼女の最新作『女はタイで美しくなる』(アーカイブ出版)である。ところが、メールで送ってくれたチラシを開いてビックリ。「和算小説の旗手、鳴海風絶賛」とあった。作家大野優凛子さんはもとより、『女はタイで美しくなる』にしても、和算小説家との取り合わせは、とっても妙である。
そのことを指摘したところ、「そこがいいところです」との返事。本人が納得しているのなら、「ま、いいかー」ということで、そのままにしたが、このチラシがきっかけで拙著が売れたら、これは脅威である。
今夜は、岩波科学ライブラリー『和算小説のたのしみ』に画像を挿入するため、東北大学附属図書館へ送る掲載許可申請書を作成した。
2月5日(火)「計算ミスは痛いぜ・・・の風さん」
昨年末に送った「じっきょう数学資料」向けの原稿の間違いを指摘された。
これは勘違いと計算ミスの複合間違いだった。私としては慎重に計算したつもりだったのだが、考え過ぎてかえって間違えてしまったのだ。
『塵劫記』の冒頭には、大きな数や小さな数の数え方が出てくる。小さな数は「小数(こかず)」で、「分、厘、毛、……、沙(しゃ)、塵(じん)、埃(あい)……」と続く。この小数は、10分の1ずつ小さくなっていくことを意味している。現代風に表現するなら、分はデシ、厘はセンチ、毛はミリということになる。塵は10のマイナス9乗なので、ナノである。1寸(≒0.03m)を基準の長さとすれば、1塵は1ナノ寸つまり0.03nmということになる。
ついこんな計算を要する文章を入れてしまったため、記述を間違えてしまったのだ。
帰宅後、原稿を直し、訂正メールを編集者へ送ったが、冊子の発行が遅れていて助かった。
今日は、会社の仕事で知り合った方に、拙著を購入していただいた。私のことはだいぶ以前から知っていたのだが、作家として話をするのは初めてで、どのような作品を書いているのか興味を持ってくれたようだ。おまけに文庫や「大衆文芸」を差し上げた。腰を据えて読んでもらえるといいのだが……。
今夜も、岩波科学ライブラリーに掲載したい画像の使用許可のことで、あちこちへお願いのメールを送った。
2月6日(水)「また新刊が届いた・・・の風さん」
帰宅したら、書籍小包があり、開封したら、知らない作家だった。牧薩次(まきさつじ)……誰だろう? 新人作家が何か勘違いして私のところへ送ってきたのだろうか。それにしてもきれいなカバーだ。『完全恋愛』。タイトルからは想像がつかないが、ミステリーである。後ろの方にある著者プロフィールを見たら、二人の名前が書いてある。もう一人は、辻真先先生ではないか! つじまさき……? つじまさき……まきさつじ……牧薩次! なーんだ、読み仮名を入れ替えているだけじゃないか。それにしても、次から次へとよく新刊が出てくるものだ。すごい。
岩波科学ライブラリーで使用する画像について、大阪市立科学館の学芸員の方から快諾の返信があった。さらにうれしかったのは、『ラランデの星』のPR記事をまた書いてくれたとのこと。あとで、書評リストに追加しておこう。
それから、咸臨丸子孫の会からも、協力の返信があった。とってもありがたい。
2月7日(木)「またまた新刊が届いた・・・の風さん」
今日は京都出張なので、往復の電車で読書しようとたくらんでいたが、全く実現しなかった。
第一に、早朝から会議になってしまい、ミッシェルで出社した。それでも、途中で退社していったん帰宅し、あらためて電車で出張しようと作戦変更したものの、続いて重要な会議まであって、とうとうミッシェルを製作所に置いたまま、同僚のクルマに便乗させてもらって、出張することになってしまった。
出張先への往復ではほとんど読書する時間はとれなかった。
帰りに名古屋駅で降りた。今夜は会社の同僚と一杯会をセットしてあったのだ。ちょっと時間があったので、東急ハンズへ行った。目的地はおもちゃ売り場(笑)。真っ赤なフェラーリのラジコンがあったので買いたくなったが、必死にガマンした。家中に書籍が氾濫しているが、実は、私のおもちゃもあちこちに転がっている。
会社の同僚と2時間飲み放題をやったので、すっかり酔ってしまい、帰りの電車でも、全く読書できなかった。
帰宅したら、また新刊が届いていた。植松三十里著『天璋院と和宮』(PHP文庫)である。ハードカバーで出さなかったところは、昨年の私の『美しき魔方陣』と似ている。同じ事情なのだろうか。
書斎で一瞬自分のホームページをチェックしたら、アクセスカウンターが10万を超えてしまっていた。記念すべき「100000」のページを保存しておきたかった。
就寝前に中村彰彦さんの本を読み終えた。重厚な作品『落下は枝に還らずとも』である。
2月8日(金)「小雪がちらつく週末・・・の風さん」
昨日、ミッシェルを製作所に置いて来たので、今朝は電車で出社である。ようやく大野優凛子さんの『女はタイで美人になる』を読み始めた。スイスイ読めるが、なんだこれ、抱腹絶倒エッセイではないか。
最寄りの駅からは会社バスに乗り継ぐ。製作所に近付くにつれ、雪がちらつき始めた。今年最初の降雪のような気がする。しかし、積もるほどではない。
今日は、終日、会議会議の連続だった。こういうのは意外と老いの身にはこたえるものである。目が疲れるのだ。定時後、またトラブルが起きそうになったが、今日は週末だ。触らぬ神に祟りなし(いや、もう祟っているのだが)。「来週でいいよね?」と同僚に言い置いて、さっさと帰宅した。
今朝の雪は、今は小降りの雨になっている。
帰宅し、明日の本山キャンパスでのゼミの準備を少しした。うーん、勉強する時間が足りない。
2月9日(土)「学位論文公聴会で刺激を受ける風さんの巻」
朝から本山キャンパスへ電車で出かけた。最寄りの駅で懐かしい人に会えたので、近況を語り合った。少し心配していたがお元気そうだったので安心した。
本山キャンパスでは、学位論文の公聴会があるのだ。5人が連続して主査、副査と関係する教授らに発表を聴いてもらうのである。2年後の自分を占う重要なイベントである。しかも、この大学院の研究科にとっては初めての博士誕生となる。
私は2人の発表を聴講した。最初の人は30歳と若かったが、出身大学の修士の頃からずっと一貫して同じテーマを追っていて、現在も大学の非常勤を勤めながら研究している関係から、論文実績が非常に多かった。二人目の人も30代と若く、同じく大学に勤務していて論文実績も多かった。さらに、この人の特徴は、学位論文はもとより実績論文もほとんど英語なのである。なかなかやるなー、といった印象だった。まだ彼らの足元にも及ばない私は、身が引き締まる思いだった。
聴講している午前中から急激に冷え込んできて、ふと窓外を見ると、真剣に雪が舞っていた。道路は既に真っ白である。
昼食後、公聴会の聴講はやめて、大野先生とマンツーマンのゼミをやった。
雪から雨に変わった夕方、先生と一緒に濡れながら本山キャンパスを後にした。
名古屋駅で京都へ帰られる先生と別れ、お土産に大判焼きを買い、3分遅れの電車で帰宅した。
2月10日(日)「ロシア機の領空侵犯・・・の風さん」
久しぶりにたっぷり睡眠をとって起床したが、腰が痛い。早く暖かくなってトレーニングを復活させなければ……。
既に太陽の高度は高く、外は光が溢れていた。
とにかく今日は雑用を片付けるぞ、と意気込んだが、腰が痛いので、先ず朝食そして朝刊読み……。
ロシアの飛行機が日本の領空を侵犯、という記事が気になった。どうも確信犯らしい。30機以上もスクランブル発進したのだし、長時間にわたる侵犯なのだから、威嚇発砲ぐらいしてやればよかったのに。バカにされている気がする。
出張などで名古屋駅や東京駅へ行くとすぐ目にするが、警官やガードマンが実に多い。明らかにテロ対策である。これだけ警備が厳しくても、自爆テロみたいなことは防げないだろう。喧嘩にルールはないのだから。日本の平和を守るため、本当はどうすればいいのか、なかなか難しい問題だ。
腰の痛みに耐えながら、手紙を書いたり、郵便振込みの準備をしたり、確定申告の準備をしたり、パソコンのデータをバックアップしながら和算関係の専門書を読んだりと、いろいろ忙しかった。
2月11日(月)「建国記念日の朝・・・の風さん」
今日は建国記念日だが、完全週休二日制の会社に勤める風さんは休みではない。
東京では咸臨丸子孫の会の総会が開かれているが、出席はできない。
昨夜は比較的早く寝たので、今朝は目覚ましが鳴る前に目が覚めた……と言うより、変な夢を見て目が覚めた。これも新聞の影響だと思う。アメリカのルイジアナ州の大学だったかで、女子学生が銃で3人の女子学生を射殺したというのが載っていた。この現場を夢で見たのである。犯人はやや離れたところから、ライフルのような銃を腰にかまえ、たった3発で3人を倒した。恐ろしい夢だった。ふだん夢なんて見ることがないくらい熟睡して(ほとんど死にかけて)いるのに、不思議なことだ。
昨日の領空侵犯といい、建国記念日の朝に見るのにふさわしい夢だったかもしれない。
出社途中で昨日書いた手紙を投函し、製作所に着くや、月曜恒例の神棚への参拝をし、午前中はずーっと会議だった(汗)。
昼休みも仕事をし、午後も会議から始まったが、珍しくケータイにメールが入った。電話が欲しいというメッセージだったので、知人と久しぶりの話をした。懐かしかった。
夕方から本社へ出張したが、まるで春のような陽気だった。ミッシェルの窓を通して眺める景色も、とっても穏やかである。とある団地内を通過しているとき、半袖シャツの子供を見かけた。
これから三寒四温を繰り返しながら、ゆっくりと春が訪れてくるのだろう。
2月12日(火)「冷たい雨・・・の風さん」
一転して今日は朝から寒い。冷たい小雨まで降っている。
製作所では「初午祭」があった。所内にあるお稲荷さんで神主さんにも来てもらい、商売繁盛と家内安全……じゃなかった、職場安全と交通安全を祈願するのである。会社というところは、人事を尽くして天命を待つということが多い。鳥居と祠の間にテントを張って、雨に濡れずに祈祷は終わった。もらったカイロが暖かい。
午前中は会議で振り回され、午後やっと落ち着いて仕事ができた。
帰りに酒屋と薬屋に寄って買い物をしてから帰宅した。相変わらず小雨がぱらついていた。
夕食後、ケータイに電話があった。書斎に飛び込むとケータイは既に鳴り止んでいた。会社の仲間からだった。折り返しかけた。深刻な仕事の話題で30分以上も話し込んでしまった(自費で)。
2月13日(水)「学業が進まず・・・の風さん」
朝から本社へ出張した。今日も実に冷える。
製作所へ戻る途中、郵便局で振り込みを4件処理した(約4万円)。お蔭で、昼食はコンビニのパンとコーヒー(あ、これ、お金がなくなったっていう意味ではありません。製作所での昼食に間に合わなくなってしまったということです)。
午後は、同僚としっかり仕事をした。けっこう骨の折れる業務で、8時までかかった。席に戻ったら、机上に1日早いバレンタインのチョコが……(^_^)。
それからメール処理をして、書類を作成して、帰宅したのは午後10時近かった。
本当は学業に専念しなければならないのだが、論文読みは遅々として進まず、自分の論文作成に対する発想もまだ湧かない。そろそろ『和算小説のたのしみ』の再校ゲラが戻ってきてしまうのだが……。どんどん時間がなくなる。焦るぜ。
2月14日(木)「冬なのか春なのか・・・の風さん」
風の冷たい朝だった。駅まで震えながら歩いた。電車に乗ってしばらく行くと、窓外が雪に……。驚きつつ、カバンの中から中公新書『英語達人列伝』を取り出した。やがて、本格的な降りになってきた。積もっている!
名古屋は雪は降っていなかった。
新幹線に乗ってからも『英語達人列伝』の続きを読んだ。実に面白い。日本人のエピソードが語られていることと、著者の斉藤兆史先生の主張が共感できるからだろう。7刷まで増刷されているだけのことはある。
名古屋と違って、東京は春のようなポカポカ陽気だった。風もほとんどない。
初めて新宿歴史博物館に行った。特別展「関孝和と和算の世界」を観るためだ。こじんまりした展示だったが関孝和にフォーカスを当てているので、密度は高い。保存状態の良い貴重書と興味深い資料が展示してある。
昨年の浄輪寺での関孝和三百年忌法要のスナップ写真が掲示されていた。それを見て驚いた。自分が写っていた。祭壇に手を合わせている後ろ姿である。
係員にその写真の写真を撮りたいと申し出たら、学芸員を呼んできてくれた。
「そういうことでしたら、写真をお送りしますよ」
親切に言ってくれたので、自己紹介すると、私のことを知っていた。また驚き。
宣伝用ポスターをもらい、写真集を2冊購入して、博物館を後にした。
昼食後、出張先へ行き、やや緊張する任務を果たした。そんな中、少し気持ちがなごんだのは、そこの女性スタッフ陣からバレンタインチョコが配られたことである。
夕方、東京駅で、某出版社と落ち合った。数学者列伝の企画の打ち合わせである。
話し合っているうちに、現代数学者を取り上げて欲しいと言われたので、対談をやりたいと提案した。
人間に焦点を当てるのが小説家の仕事である。物故された数学者を、独自の解釈で紹介するのが得意である。これが、存命の数学者となると話は違ってくる。小説家の視点でどう書いても、本人が生きている限り、読者はその本人を目撃する可能性がある。本で読んだのと全く違ったイメージの本人を見てしまう可能性があるのだ。そこで、対談という形にして、本人に語らせてしまえば、少なくとも、私のリスクは大幅に低減する。
お互いに持ち帰って検討することになった。
帰宅するまでに『英語達人列伝』を読み終えた。
そして、帰宅すると、食卓にバレンタインのチョコだけでなく、『和算小説のたのしみ』の再校ゲラがやはり届いていた。すぐに校正して返却しなければならない。
2月15日(金)「バレンタイン倒産・・・の風さん」
昨夜の段階で、食卓にいくつかのバレンタインチョコが積み上げられたのに、出社したら、また新たに数個のバレンタインチョコをもらってしまった。ここ数年、こういった風習は下火になっていたのに、これはどうしたことか。世の中、平和になっているという証拠だろうか。
恵方巻には顔をしかめる風さんだが、チョコは好物なので、ありがたく頂戴してしまう(笑)。
会社の仕事も大変な状況だが、個人の仕事(当面の学業)もピンチである。組織で仕事するのが会社のやり方なので、誰も助けてくれない個人の仕事は、優先的に対処しなければならない。とは言っても、先立つものはお金……じゃなくって、時間だ。午前中必死に働いて、午後から半休にすることにした……が、退社したのは午後2時だった。
途中ミッシェルに給油して、帰宅したのは午後3時である。
食卓の上に会社でもらったバレンタインチョコを並べてみて、胸騒ぎがした。喜んでいる場合ではない。1ヵ月後に訪れるホワイトデーの対応をどうする? ……破産だ。零細企業の鳴海風、倒産。バレンタイン倒産である。
疲労がどっと出てきたので(何の疲労だ?)、とりあえず昼寝して体力の回復をはかった。
夕方から英語の論文読みを開始した。ある程度のところまで進めておかないと、ゼミにならない。英語の授業になってしまう(笑)。
結局、午前3時までやってしまった。やはり、いつか死ぬな。
2月16日(土)「学業に続いて作家業・・・の風さん」
今朝も寒い。春が待ち遠しい季節だ。
最寄りの駅まで歩いている途中、パトカーが一時停止違反の軽トラを捕まえるところを遠望した。事故なんか起きそうもない場所で、捕まえることだけを目的に張っていたのだ。つまり、捕まえやすい場所だ。これが、信号無視が頻発する交差点となると、捕まえようと思っても、敵は一目散に逃げてしまうか、からくも御用にしてしまうにしても、事故を誘発するリスクがあって、まず、取り締まりなどやらない。そういうところこそ、事故がよく起きるのであって、取り締まるべきなのに、やらない。
捕まった軽トラを気の毒に思いながら(パトカーに向かって心の中で罵声を浴びせながら)、ホームへと続く階段を上がって行った。
本山キャンパスへ着くまでの、電車や地下鉄の中でも論文読みを続けた。夕べは6時間ほどの睡眠がとれたので、何とか頑張れる。
キャンパスの近くで軽く昼食を摂ってから、ゼミ室へ乗り込んだ。
4時間のゼミで4ページしか進まなかった。時速1ページだ。これでは事故は起きない(笑)。
帰りの電車では、関孝和関係の参考書を読んだ。4月と5月に関孝和没後三百年を記念した講演をするので、しっかり勉強しておかなければならない(それにしても、我ながら元気だな)。
夕食後、岩波科学ライブラリー『和算小説のたのしみ』の再校ゲラの著者校正をした。自分の原稿とはいえ、分量が少ないせいもあって、4時間ほどで終了した。修正箇所も少なかったのだ。
就寝前に、久しぶりにPSPでゲームをやった。
2月17日(日)「忙中寒あり(?)・・・の風さん」
今朝も寒くて目が覚めた。本当に寒いのだろうが、老化のせいもきっとある。
今日は亡父の祥月命日である。親父は寒い朝、シャワーを浴びた後、洗面所で心不全で死んだ。十分に体を温めないうちに出てきたのだろう。自分も寒さに震えながら、突然心停止するかもしれない。もっとも徐々にボケて長生きするよりはずっとマシだろうが。
階下へ降りて、サンルームのカーテンを開くと、庭の梅の木にぽつぽつと梅が咲いていた(一分咲きか)。超多忙でつぼみの時期にも気付かずに今日までやってきてしまった。子供らの成長にも気が付いていない恐れがある。困った父親だ。
朝食後、著者校正を終えたゲラを持って、近くのスーパーへ行った。クロネコに宅配をお願いするためだ。同時に、墓参用の供花と供物を買った。供物は自宅の祭壇に供えて、あとでお下がりを頂戴する(笑)。亡父の好きだった「みたらし団子」とサツマイモを使った和菓子を選んだ。
自宅のすぐ近くに墓地はある。
昨年は三回忌だったが、今日は、ワイフと長男の3人だけの墓参となった。行って帰ってくる短い間にも、天気は曇りから雪そして晴れへと、めまぐるしく変わった。
昼食後に書斎に籠ったが、寒さのせいで風邪をひいたらしい。急いで薬を飲んだら、猛烈に眠くなってきた。少し寝たら、学業をやらねば……、いや、会社の仕事も……(-_-)zzz
2月18日(月)「職場安全・・・の風さん」
やや早く製作所に出社して、恒例の神棚への参拝。「今週も職場災害、交通事故がありませんように!」
ところが、災害は身近なところで起きていた。16日(土)に当職場では設備搬入があり、業者の出入りがあった。そのとき、製作所の設備に損傷を与える出来事があり、立会い者は、修理担当部署へ修理を依頼して帰宅した。修理担当部署は、専門業者に依頼をしたのだが、下見に来た専門業者の社長が、すぐに直るだろうと手を出して、大怪我をしたのである。
直接うちが原因ではないにしても、きっかけを作ったことは間違いないので、朝から情報収集を開始し、上司へも報告した。幸い、怪我をされた方も快方に向かっているらしい。
2月19日(火)「行きたかったアメリカ・・・の風さん」
咸臨丸子孫の会に注文してあったDVDが届いた。2005年の米国訪問記録写真を観たかったのだ。結局、米国取材もできないまま『怒濤逆巻くも』を執筆して出版した。一度も行ったことがない、ホワイトハウスや咸臨丸を修理したメーアアイランドの造船所などをこの目で見たかった。それらの場所を訪問している一行の様子を見て、本当にうらやましかった。咸臨丸に乗り込んだ水夫たちの墓があるコルマでの写真では、献花する子孫の会の人々を見て、これは涙が出そうになった。
あとDVDは、昨年のオランダ訪問記録写真があり、これも行きたかったのだが、ご存知のように超多忙の風さんは行けるわけがなかった(金欠病という問題もあったが)。あとで見るのが楽しみである。
2月20日(水)「交通安全・・・の風さん」
早朝から製作所に出社して、交通安全立哨に協力した。交通事故の多い愛知県で、しかも自動車産業の一翼を担う企業に勤務している風さんである。ミッシェルで爆走するのが好きでも、交通安全はすべてに優先する(?)。
からりと晴れた朝だった。気温は低いが、風が弱くて、気持ちいい。眠気も吹き飛ぶ。
それにしても交差点で旗を持って立哨していると、マナーの悪い運転をするドライバーの多いこと!
皆さんはご存知だろうか? 全国的に交通事故死は年々減少しているが、これは交通事故そのものが減少していることを意味していないのだ。クルマの安全装備の充実と、延命治療の進歩が、死者の数を減らしているだけで、実際、交通事故発生件数は増加している。人間の運動能力は上昇していないのに、クルマの運動性能は上昇していて、それをしっかり操れていない可能性があるのだ。
2月21日(木)「ブルーな1日・・・の風さん」
夕べは早めにベッドに入り、『源氏物語』を少し読んでから寝た。
そのこととは無関係だろうが、今朝、変な夢を観た。
ミッシェルを運転していて、曲がり角をうまく曲がれず停止した。そこへ小型乗用車が突っ込んできて、ミッシェルに激突……じゃなくって、ミッシェルのボンネットに乗り上げて、そのまま乗り越えた。「まさか?」というやつだ。ミッシェルのボンネットに穴があいた。
そいつは停止したので、怒ったぼくはミッシェルから降りて、運転手に文句を言いに行った。
最初は、そいつは謝るような素振りを見せていたが、ミッシェルを修理してくれと、と主張したら、俄然反逆に出た。「ぼったくるつもりだろう」と言う。それでぼくは、「文句があるなら、警察を呼んでやる」とケータイを取り出したのだが、110番しても警察が出ない。ぼやぼやしているうちに、開き直ったそいつは(実は女性なのだが……つまりオバタリアンなのだが)逃げてしまいそうで、ぼくは焦りまくるという夢だ。悪夢と言ってもいい。
その夢見が悪かったせいか、終日、会社の仕事が不調で、きわめつけは、定時後の会議で役員から叱られた! ……屈辱、である。
2月22日(金)「怒涛の週末・・・の風さん」
朝から本社へ出張して会議に出席し、知人と昼食を一緒にした後、製作所へ戻り、夕方から本山キャンパスへ出かけた。先生との約束が19時からだった。ミッシェルで直接行かずに、製作所に最も近い駅の有料駐車場に停めて、電車で向かった。
ギリギリに本山キャンパスに着いた。ゼミの前に、迫っている学会発表応募2件の内容について相談した。研究内容を以前よりも広い視点でとらえられるようになっているので、例によって私の野望は発散しかけたが、先生がうまくブレーキをかけてくれた。これで、発表テーマがほぼ決まったので、日本文と英文の応募帳票を作らなければならない。1週間後に指導していただくことになった。
ゼミが始まった。
そうしている時に、ケータイが鳴った。一緒に仕事をしている会社の同僚からで、現在抱えている2大課題の一つについての、私に対するクレームだった。延々40分間もキャンパスのテラス(当然屋外だ)で話し込んでしまったため、先生に迷惑をかけてしまったし、私自身も身体が冷えてしまった。
その後、ゼミを再開した。先生から「何かお腹に入れて、やりますか」と絶妙の提案があり、1階の喫茶室へ移動して、ホットドッグで腹ごしらえしてから、再びゼミの続きをやった。
21時過ぎまでゼミをやったので、地下鉄、電車、ミッシェルを乗り継いで、帰宅したのは23時頃になってしまった。
2月23日(土)「京都取材・・・の風さん」
秋の出版へ向けて着々と取材もしていかなければならない。
今日は、京都へ出かけた。目的は角倉了以・素庵ゆかりの土地を訪ねることだった。
『塵劫記』で有名な吉田光由は、角倉一族の者である。角倉素庵が生きている頃の人物である。角倉一族は豪商なので、足跡はたくさん残っているが、吉田光由については、お墓すら残っておらず、そのへんが謎に包まれている。とにかく、角倉の関連史跡を見ておくことが、吉田光由に迫る第一歩となる。
今日は先ず、京都駅から嵯峨野線で「嵯峨嵐山」まで向かった。徒歩で常寂光寺へ行き、境内の外にある『塵劫記』刊行j350年記念の顕彰碑をカメラに収めた。始めこの石碑が境内の外にあるとは知らず、入山料を支払って境内へ入ってしまったため、紅葉の季節が最も美しいと思われる境内を見学してしまった。私にとっては2度目の常寂光寺だが、1回目の記憶はほとんど残っていない。そうこうしているうちに雨が降り出してきて、傘を持参しなかった私は少々慌てた。天気が悪いせいか観光客はまばらである。
続いて、二尊院へ移動して、角倉一族のお墓を見学した。山の斜面に展開する境内の最も高いあたりにたくさんの墓石が並んでいて、それが角倉一族のお墓だった。右端に、角倉了以と素庵、それぞれ夫婦のお墓が4つ並んでいた。大堰川開削工事など大きな業績を残した父子だが、こうしてみると幸せな人生だったように思える。ここも観光客はほとんどいなかった。
タクシーで嵐山へ向かった。ここは、かつて嵯峨野高校で特別授業をやらせてもらった帰りに、観光目的で歩いたところだ。ときおり冷たい雨が落ちてきて、風の強い日だったが、さすがに観光客がいっぱいいる。
渡月橋のたもとから大堰川の西側を上流へ向かってひたすら歩いた。目的地は千光寺(大悲閣)。開削工事で命を落とした人々の霊を慰めるために角倉了以が作ったお寺である。
冷たい風が吹き付ける中を歩き続けて、現在は休業中の観光旅館「嵐峡館(らんきょうかん)」の入口あたりに着いた。嵐峡館が営業しているときは、渡月橋のたもとから大堰川を上る船が出るのだが、もちろん今日はそれがない。桟橋には船影もない。
この嵐峡館の脇から、道は急激な上りになって、約200m進んだ山腹に大悲閣があった。管理人が一人いて、中へ入れてくれた。有名な角倉了以像が安置されているところだ。強風のために覆っていたビニールシートも外してくれて、窓外から京都市街地が遠望できた。時折晴れ間も覗くので、絶景となる。比叡山が望まれた。了以像はつるはしのような石割斧を握った立膝の坐像で、彫りの深い顔と鋭い目付きは怖いようでもあるが、これは難工事に果敢に挑む不退転の意思を表しているのだろう。大悲閣を建築するくらいだから、心根は優しい人に違いない。これもカメラに収めさせてもらった。
午後から天候はひどくなる一方だった。雪まで降ってくる。
中京区にある料亭「がんこ二条苑」に行った。ここは、角倉了以の別邸跡である。
予定では、この後、かつてキリシタンが住んでいて教会もあった「だいうす町」跡も見学することにしていた。若かりし頃の吉田光由が、毛利重能のそろばん塾に通ったあたりを想像してみたかったのだ。が、悪天候と疲労のために断念した。
和算発祥の地といってもいい京都には、まだまだ調査すべき場所がある。
2月24日(日)「終日書斎に籠もり・・・の風さん」
終日、書斎に籠もった。しかし、あまりにも多くの案件が山積していたので、その山崩しに忙殺された。主には、今後のスケジュール立案である。効率良く行動するためには、事前に綿密なタイムスケジュールを組んでおく必要がある。プライベートの場合は、その関連で切符や時には宿の手配もしておく必要がある。秘書が必要だが、いない。個人事業のつらさであるが、一方で楽しさでもある。階下のコピー機のトナーがなくなっていたので、ネット注文までした。
ホームページの更新も最近は数日分まとめてという状況になっている。てきぱきやっているつもりだが、どうもパソコンの応答速度は、人の判断能力より遅い気がする。あるいは、人がパソコンの進化にどんどん追いついているため、パソコンが遅い気がするのかもしれない。
ということで、今日も学業がさっぱりできなかった。
2月25日(月)「意外な展開・・・の風さん」
朝から通院している総合病院へミッシェルで直行した。今日は、検査結果を聞いて、それによって大きな決断をする予定だった。手術である。しかし、それほど心配のある病気や手術ではないので、ここで詳細を明かすことはしないつもりだった。
ところが、思わぬ事態になった。検査結果、「がんの疑いあり」となったのだ。もちろん、これもそれほど心配するには及ばない。深刻ながんになる代物ではないからだ。とはいえ、がんはがん。精密検査をすることになってしまった。来週早々、一泊二日の検査入院となる。やれやれ。
病院の診察室で、思いがけないポスターを見つけた。きたる3月1日(土)の午後、病院内で、吉田恭子さんがヴァイオリンコンサートをするというのだ、吉田恭子さんは、咸臨丸子孫の会で親しくさせていただいている、木村摂津守(せっつのかみ)の子孫の方の、お嬢さんなのである。昨年、吉田恭子さんのCDも頂戴していて、執筆のときのバックグラウンドミュージックにして聴くこともある。情熱的な演奏家という印象だ。
残念ながら、1日(土)は、本山キャンパスで大野ゼミなので、コンサートには行けない。
それで、市内のスーパーの花屋さんに行き、フラワースタンドを発注した。ピンクのバラである。
午後から、会社員に復帰して、某製作所へ出張し、その後、本社へ移動して会議に出席した。帰宅は午後11時近かった。
ワイフのところへ年金の確認通知が届いていた。例の「消えた年金」とか言って騒いでいるやつである。遅い夕食を摂りながら「開封してみろよ」と言って、ワイフはようやく中身をあらためた。
すると、驚いたことに、ワイフの年金も消えていた。
ワイフは会社員を7年ほど勤めた後、専業主婦になると同時に国民年金に加入した。つまり、厚生年金と国民年金の二つが記載されているはずである。ところが、国民年金しか記載されておらず、ワイフの厚生年金は「消えて」いた。
「まさか私も500万人の中に入っていると思わなかったわ」
ワイフと同感である。
2月26日(火)「『ビッグツリー』の佐々木常夫さんをTVで観る・・・の風さん」
『ビッグツリー』の著者、佐々木常夫さんからメールが届いた。今夜のテレビ「ガイアの夜明け」に登場するという。
佐々木常夫さんは、母校秋田高校の大先輩である。東大へ進学されて東レに入社。トップで取締役に昇進された後、東レの経営研究所の所長をされている。この一見、順風満帆の人生の、ちょっと内側で実は大変な経験と努力をされてこられた。それが『ビッグツリー』に書かれているのだ。たまたま、1年前にある雑誌でその本を知り、購入して読んでみたら、母校の先輩だった。それで、その雑誌の出版社に、佐々木さんの連絡先を尋ね、メル友になったのである。
社会人になってからほとんどテレビを見ない生活になってしまったので、今夜は、特別、10時過ぎにテレビのあるリビングへ行った。
番組のテーマは、いかにして時間を有効に使うかといったものである。それにしては、佐々木さんの事例は重い。
番組では、朝の6時半に朝食を作っている姿から、洗濯をしている姿、約1時間半の通勤電車の中でひたすら仕事をしている姿、研究所でもてきぱきと仕事をし、部下にも時間の大切さを説く姿、夕方にはスーパーで買い物をして帰宅する姿などが映し出された。そうである。佐々木さんは、奥様が病気になったため、何十年も前から奥様のケアだけでなく、子育て、家事にいたるまで懸命につとめてこられたのである。それでいて、超一流の仕事もしてこられたのである。頭が下がる。
テレビ鑑賞後、佐々木さんへ感動した旨メールした。
一昨日ネット注文したトナーが届いたので、夕食前にセットしてみた。ばっちりコピーできた。この程度のことで喜んでいるようでは「並人間」だな。
2月27日(水)「仕事、仕事、仕事・・・の風さん」
本社で朝7時45分から会議になったので、早起きした(これが苦手なんだなあ)。
10時前で会議が終わって、いったん製作所に戻った。
診療所で血圧の経過観察を受け(例の精密検査の話しをして激励された「まあ、特別休暇だと思って入院検査するんですなあ、あっはっは」。血圧は問題なし)、メール処理後に昼食を摂り、再び本社へ戻った。今度は、同僚の運転するクルマに乗せてもらったのだが、な、なんと、先日の私と同じように、オドメーターとトリップメーターが、面白い組み合わせになるタイミングに仕組んであり、本社への途中で記念写真を撮った。その数字とは、オドメーターが「222222」で、トリップメーターが「222.2」だった! やるなー。
夕方で会議が終わって、また同僚の運転するクルマで製作所に戻った。
定時後の会議は9時半ごろまで続き、やっと退社する頃には、雪がちらつき出していた。
この時期の降雪は近年珍しい。
夕食後、書斎に入って、何がなんでも自分のことをやらねば、とパソコンへ向かったが、最初に手をつけたのは、来月10日の社外での講演の準備だった。その後、日本経営学会の春季大会での発表申し込み準備である。欲しい本がたまったので、ネットで1万円ほど発注した(積ん読になる恐れ大だが)。就寝前に少しだけ読書もした。……。
2月28日(木)「執筆マシンの壁紙はシャロン・ストーン・・・の風さん」
朝、いちおう目覚まし時計で目を覚ましたが、すぐにまた眠りに落ちてしまい……。
今日も超多忙の1日だった。
書斎の執筆マシンの壁紙はしょっちゅう模様替えしている。かなりストレスがたまるので、好きな女優を中心に壁紙に採用して悦に入っている。会社でやったらセクハラもどきことになる恐れ大(笑)。
実に久しぶりにシャロン・ストーンの登場である。「氷の微笑」を観て大ファンになってしまったが、彼女もそろそろ50歳。日本人女性と違って西洋人の老化は激しいな。壁紙のシャロンは何歳のときの写真なのだろうか。分からない。
「氷の微笑」の原題は「basic instinct」という。実は、この両方のVHSビデオを持っている。もちろん最初に観たのが「氷の微笑」で、アメリカ在住の友人に「basic instinct」を買ってきてもらい、ドキドキしながら自宅で観たら、ガッカリした。バイオレントなシーンがカットされているのだ。「氷の微笑」でダメで、「basic instinct」で観れたのは、取調べ中のシャロンのスカートの中だけだった。ただし鮮明さはない。「basic instinct」は英語の勉強しか使い道がない。
ちなみに、なぜシャロン・ストーンを壁紙に登場させたかというと、なぜかヤフーのトップに先日「氷の微笑2」の記事が出ていたのだ。2年前のこの映画を私は観ていないが、今さら観る気はしなかった。なぜなら、記事によると美しさの衰えたシャロン・ストーンの映像は、高度なデジタル処理で、皺などが消されているらしいからだ。
2月29日(金)「Extended abstract が1日で出来るとは・・・の風さん」
学会発表の申込書を書くために、強引に有休にした。
昨日でほとんど完成した日本経営工学会春季大会の申し込み書を、午前中に大野先生へメール送信した。
続いて、秋の国際学会の申し込み書の作成に着手した。これも昨夜途中まで作成してあった。申込書というかExtended abstract(抄録)を英語で提出するので、先に日本語で作成しているのだ。これが午後3時前に完成したので、同じく大野先生へメール送信した。それから、英語に訳すのだが、今回は、ネットで自動翻訳をしてみることにした。最も使い慣れているのが(主にオランダ語を日本語に翻訳することが多いのだが)、東海大学の先生から紹介してもらったAltaVistaである。それに加えてyahoo翻訳と二つを試してみた。原文の日本語はプロの小説家が書いているのだから、完璧のはず(笑)。
日本語から英語に訳した結果は、全く同じではない。単語の選択も文の構造も違っている。しかし、へたくそな英語の添削をやるような感じで直していくと、どんどん文章が出来ていく。これは便利だ。
午後8時前に英語訳が出来たので、予定していなかったのだが、また大野先生へメール送信した。明日のゼミの準備はこれでオッケーだ。
08年3月はここ
気まぐれ日記のトップへ戻る